賢い人に恋い焦がれる人って

私はサピオセクシャルです。

って言われてもわけが解らないですよね。

私も最近までこんな言葉があることすら知りませんでした。

 

とりあえず、サピオセクシャルはLGBTの一種だと思ってください。まずはLGBTQ+の解説を軽く行いたいと思います。

 

LGBTQ+は性的少数者の総称です。

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L→レズビアン(女性の同性愛者)

G→ゲイ(男性の同性愛者 )

B→バイセクシャル両性愛者)

T→トランスジェンダー(こころの性と身体の性が一致していない)

Q→クエスチョニング(自身の性別やセクシャリティを探している)

Q→またはクィア(既存の性やセクシャリティに当てはまらない)

+→上記の言葉だけでは表せない性やセクシャリティが存在する意味を表している

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ざっとこんな感じです。LGBTQ+については JobRainbowさんに詳しく掲載されているので気になった方はご覧ください。

jobrainbow.jp

 

初めに挙げたサピオセクシャルは「+」の部分に入ります。

 

サピオセクシャルとは相手の知性に魅力を感じるというセクシャリティです。

サピオ」とはラテン語で「かしこい」「賢明」といった意味でホモ・サピエンスの語源にもなっています。私たちって「賢い人」だったんですね、、、

 

私はサピオセクシャルなんだって思ったのにはきっかけがあり、セクシャリティ診断をしたことでした。

セクシャリティ診断結果

この説明文を見たとき、賢い人が好きになる傾向というものにも名前が存在しているということの驚きと、なぜか少しだけ安心感を覚えました。

 

この感情に名前が付くということは似たような人達がいるんだ、自分ひとりじゃないんだという安心感だったのでしょう。

 

ですが、同時に私はセクシャリティだと決めきるのはとて危険だと思いました。私はこの「サピオセクシャル」の枠組みに入れたと思うことでとても安心感を覚えましたが、子どものときは賢い人に惹かれるということはありませんでした。すなわちセクシャリティは成長や環境の変化によって変わっていくことがあるんです。

 

この枠組みに入るということは≒型にはまるということなのではないでしょうか。「型にはまる」は別に悪いことではありません。ですが、思考の柔軟性や個性が失われることがあります。なので、私はこのセクシャリティを決めきることをせず「今のところは」サピオセクシャルです。と思うようにしたいと思います。

 

読んでくださった方もぜひセクシャリティ診断してみてください。

 

セクシュアリティ(LGBTQ+)診断

 

セクシャリティの分野にとても興味があるので、またこういった言葉に絞って考えていきたいなと思います。

頭がいい人とは

今日友達と喋ってて、こいつ頭いいなと思いました。と同時に

 

「ん?頭いいってなんや?」

 

とも思いました。自分なりに解釈していきたいと思います。

 

高校の時までの「頭いい人」とは「テストの点数がいい人」という共通認識があると思います。私もその認識でしかも「頭いいね」は長所的な言葉だと思っていました。

 

小学校の時テストの点数が良かった友達に褒めるつもりで言ったらその子からしたら嫌な言葉だったようで、その「頭いいね」の一言でその時一番大事だった友達を失ってしまった過去もあります。

 

当時はなんでか離れていったのか解らず、悲しい思いをしましたが、大人になりそれがその子にレッテルを貼っていたんだと気づきました。ほんまにあの一言を言わんかったらよかった、と思います。

しみじみした話は置いといて。

 

初めの問いに戻って、大人な目線で見る「頭いい」ってなんでしょうか。

 

「思考し続けている人」

 

これが頭いい人だと思います。

その友達を知的だと思った点が3つあります。

 

・まず自分で深く悩んで相談をしている点

・客観的視点でモノゴトを見ている点

・感情的だけど冷静に自分を分析している点

 

こんな感じですね。もう少し深堀りしてみます。

 

 

 

「まず自分で深く悩んで相談をしている点」

友達は人生のことについて悩んでいました。「これから不安やねん」と言いながら自分の感情を具現化し口にしていました。私これできないんですよね。多分これって相当自分と向き合わないとできない技だと思います。だからその子は深く深く悩んだ上で相談してくれたんでしょうね。

 

「客観的視点でモノゴトを見ている点」

相談をしている時って、大体自分の感情にのめり込んでしまってなんの話ししてたかわからなくなったりすると思います。(←私です笑)ですが、その子は自分を外から見て悩んでいる原因を見失わずに話をしていました。

 

「感情的だけど冷静に自分を分析している点」

話している時、喜怒哀楽がそりゃありますよね。さっきも言いましたが、私は感情的になり話の着地を見失ってしまいます。ですが、その子は怒ったり不安げに話していても、我を忘れないんです。

 

この3つに共通していることは、やはり「思考し続けていること」だと思います。

 

私はモノゴトを分けて考えないと何もできなくなる人間なので、何かしながら思考し続けられる人に少しジェラシーを感じてしまいます。

ですが、思考してるだけなら案外できることに気づきブログを始めました。私のように話しながら考えたりするのが苦手な人でも文字を書くことはできたりするかもしれません。これからジェラシーを感じても少し見方を変えながら思考していきたいと思います。

多様性を受け入れるって?

初めての投稿です。何を書こうかと思いましたが、大学生なのでそれらしいお話を。

 

先日、大学で今後の社会の展望を考えるという授業がありました。

私は「今後多様性を受け入れる社会にならなければいけない」という考えを出しました。最近よく聞く「ダイバーシティ」も多様性という意味ですね。

「多様性」とは、ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在するという意味です。

 

「多様性を❝受け入れる❞」ってなんでしょうか。言葉にすることは簡単ですが何をどうしたら受け入れるになるのでしょうか。

時事的なネタですが、俳優さんが妊娠されて事実婚という形で公表されていましたね。この報道を五十近い母と見ていたのですが、母が「結婚しやんのや」とボソッとつぶやきました。

私自身、将来愛する人ができたのであれば事実婚でパートナーシップを結びたいと考えていたので、へ―そうなんや、で終わるかと思っていた母のその反応に少し驚いてしまいました。そんなイメージを擦り付けいていた私も悪いですが、今まで育ってきた時代や環境はぬぐえないのだろうと思いました。

その後、社会での事実婚の現状など私の知っている限りのことと、私の将来の選択肢の中に事実婚があることを伝え、へ―そんなんやでことを収めることができました。

 

ここで母と会話をし、「受け入れる」の答えが少し出た気がします。

「予想外のことが起きても変わらないこと」

「そして、知ろうとすること」

これが今私が出した答えです。

 

母はこの話をしている時、うなずきまた「それで?」と質問を何度か返してくれました。私はまだ、頭がスカスカなので様々な新しいもの吸収することができています。ですが、いつか今吸収している容量が溜まってしまいそれが偏見へと変化していくかもしれません。

でもそんな偏見を持っていたとしても、母がしていたようにいつもどうりに会話をして、知ろうとすること、これを続けていきたいと思います。