頭がいい人とは

今日友達と喋ってて、こいつ頭いいなと思いました。と同時に

 

「ん?頭いいってなんや?」

 

とも思いました。自分なりに解釈していきたいと思います。

 

高校の時までの「頭いい人」とは「テストの点数がいい人」という共通認識があると思います。私もその認識でしかも「頭いいね」は長所的な言葉だと思っていました。

 

小学校の時テストの点数が良かった友達に褒めるつもりで言ったらその子からしたら嫌な言葉だったようで、その「頭いいね」の一言でその時一番大事だった友達を失ってしまった過去もあります。

 

当時はなんでか離れていったのか解らず、悲しい思いをしましたが、大人になりそれがその子にレッテルを貼っていたんだと気づきました。ほんまにあの一言を言わんかったらよかった、と思います。

しみじみした話は置いといて。

 

初めの問いに戻って、大人な目線で見る「頭いい」ってなんでしょうか。

 

「思考し続けている人」

 

これが頭いい人だと思います。

その友達を知的だと思った点が3つあります。

 

・まず自分で深く悩んで相談をしている点

・客観的視点でモノゴトを見ている点

・感情的だけど冷静に自分を分析している点

 

こんな感じですね。もう少し深堀りしてみます。

 

 

 

「まず自分で深く悩んで相談をしている点」

友達は人生のことについて悩んでいました。「これから不安やねん」と言いながら自分の感情を具現化し口にしていました。私これできないんですよね。多分これって相当自分と向き合わないとできない技だと思います。だからその子は深く深く悩んだ上で相談してくれたんでしょうね。

 

「客観的視点でモノゴトを見ている点」

相談をしている時って、大体自分の感情にのめり込んでしまってなんの話ししてたかわからなくなったりすると思います。(←私です笑)ですが、その子は自分を外から見て悩んでいる原因を見失わずに話をしていました。

 

「感情的だけど冷静に自分を分析している点」

話している時、喜怒哀楽がそりゃありますよね。さっきも言いましたが、私は感情的になり話の着地を見失ってしまいます。ですが、その子は怒ったり不安げに話していても、我を忘れないんです。

 

この3つに共通していることは、やはり「思考し続けていること」だと思います。

 

私はモノゴトを分けて考えないと何もできなくなる人間なので、何かしながら思考し続けられる人に少しジェラシーを感じてしまいます。

ですが、思考してるだけなら案外できることに気づきブログを始めました。私のように話しながら考えたりするのが苦手な人でも文字を書くことはできたりするかもしれません。これからジェラシーを感じても少し見方を変えながら思考していきたいと思います。